kota’s blog

経験した事を文章化しようと思い、始めてみました。

1920年と2020年、ロスジェネ

エコール・ド・パリについて、

そもそも1920年代のパリがなぜ狂騒の時代、栄光の時代、などと呼ばれるのかだが、大いに戦争の遺産である、というのは周知の事実である。

大学時代はエミリーディキンソンの詩を研究対象にしていたが、(と言ったら余程詳しくなっていなければならないというpressureにかられるが、)それと同時期にヘミングウェイの過ごした人生に興味を覚え、ちょくちょく空いてる時間に調べたり、実際にヘミングウェイが目にした地に足を運んでみたりしてるうちに、ディキンソンよりよっぽど詳しくなってしまった。ヘミングウェイ協会の会員にもかれこれ5年ほど所属しているが、毎年都合がつかず、まだ一度も大会には参加できていない。半年に一冊ほど、ヘミングウェイ関連の新しい論文が掲載された冊子が送られてくるのだが、'非常に良い'。(年間6千円?ほど払っているが、それが彼らの研究費になっていると思うと、安いもんで、今後も大いに貢献したい。)

話が脱線したが、そんなこともあってヘミングウェイが生きた1920年代のパリを調べてるうちに、今度は「1920年代のパリ」という時代そのものに興味を覚えた。

第一次世界大戦の後の崩落した社会、人々が酒と享楽に溺れた時代。ガートルードスタインが、戦後の社会に生きる若きヘミングウェイに「lost generation」と揶揄した話は、この辺を少し勉強してる人なら知っていると思う。このいわゆるロスジェネ、という言葉はその後のヘミングウェイの人生に多大な影響を与えることになる。ロスジェネ、という言葉は「ガートルードスタイン」から始まったと個人的には確信している。

少し時を遡って、1880年代のパリを見てみると、印象派が誕生・活躍し始めた頃で、と書いてるうちに終わりが見えなくなってきたので、何が言いたかったか、に戻ると、

とにかく1920年からちょうど100年経った今の時代は、どう変わったのかということである。

中学生のなりたい職業1位がyoutuberというのが最近話題になっているが、猛烈社員という言葉に代表される昭和の社畜感覚・金持ち主義・大企業主義から、平成という、昭和の感覚を破壊するための準備期間を挟み、そして令和という過去の流れを全く踏襲しない新しい別次元の自由な時代が生まれた。これまでは、良い大学→大企業というようなある程度の既定路線があった。が、しかし、現在では大企業に勤めたいと思う人間の減少は顕著で、そもそも大学に行く意味を疑い始めるような時代である。これまでのような既定路線は消えつつあり、今後は自分のやりたいことを仕事にする、という確固たる実現力、自己の興味の把握、自分で将来の道を切り開く行動力・考える頭、がより必要とされる時代になってくる。そこでふと自分の身を振り返るのだが、昭和と令和の間に生きた平成の人間は、路頭に迷いはじめるのである。周りの若い連中は好きな事を仕事にしている。上の世代の人間は、熱血・猛烈・愛社精神そのままに、会社生活のラストスパートを切っている。スタインのロスジェネという言葉が、平成を生きた人間にはよく当てはまるように思うのである。